MBAへの幻想を捨てる
MBAに行きたいと考えている人に言いたい。MBAへの幻想を捨てるところから始めよう。
岩瀬さんのBlogで紹介されていたけれど、話題になっていた「ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場」が岩瀬さんの翻訳で出版されたらしい。
でその著者で、岩瀬さんのHBSの同期でもあるPhilip Delves Broughton氏が日経ビジネスオンラインに今般掲載された記事がこちら。
金融危機の真犯人を育んだMBAの罪
これ、これからMBA受験をする、あるいはビジネススクールに行くことが決まっている人には読むことをお勧めする。別にここに書いてあることに全面的に賛成しているということではなく、改めて何でMBAを取得したいのかを考えるよい機会になるだろうから(本はまだ読んでいないのだがよい評判は聞く)。
うーむ、言っていることは真実だと思うが、逆に言えばビジネススクールに過度に期待しているような気もする。
僕の理解ではビジネススクールは「既に産業・金融界で起きていることのうち興味深いことを分析し、数年遅れで授業に反映していく学者の集団」なのだ。特定の事業だけならまだしも世のビジネス総体の最先端で起きていること、あるいはその先を予測し、警報を鳴らすというのはいささか荷が重すぎるように思う。
MBAには最先端はないのだ。おもしろいと評判になる授業は各授業に関連する業界の「最先端」にいる人が教授と一緒に教壇に立つ授業だったりする。生徒の視点からすれば、他業界の最先端ってこんな感じかなって雰囲気は掴めても、それを修得するなんて全くできないし、同業界から来た生徒であれば完全に時代遅れの話にしか聞こえないこともある。
この違いは結構重要だと思っていて、例えば、「ファイナンスは苦手だがMBAで最先端のファイナンスを学んでファイナンス業界に転職したい」などという希望は全くもってMBAに期待できないこととなる(若いうちにMBAを取得し、専門性を問われない職務階級での転職を目指すなら話は別だが)。ファイナンスの経験がない人は、MBAをとったって純粋なファイナンス業界では簡単には通用しないよ(ファイナンスに限らずだけど)。
MBAは究極のゼネラリスト教育であり、幅広い知識を持つことで一般的なビジネスジャッジメントの質は上げられるように思うが、苦手だったことが得意になるなんてことはないと思っていた方が安全だ。
(つまらないことをしかも乱暴に言っているけれど、こういう幻想を持っているアプリカント(もっと言えばMBAに憧れている人)に時々遭遇するので、これくらい言っちゃってもいいだろう)
MBAにいれば何かが起こるかと言うと、何も起こらない。元々何かを起こせる人でない限り。
MBAで世界中の友人とのネットワークができる? 日本で友達づくり・ネットワーキングが苦手な人は、外人とのネットワーキングはもっと難しいと知っておくべき。
多国籍の友人とのグループワークで多種多様な人材のマネジメントが身に付く? 日本人すらマネージできない人は外人のマネージなんて絶対できない。せいぜい「価値感・行動様式が違う人がいる」という環境に慣れる、文句を言う度胸がつく、妥協する術を身につける、そんなところか。それはマネージとは呼ばない。
プロジェクトワークで実践的なコンサルティングスキルが身に付く? コンサルティングの素人数人が企業に乗り込んでどれだけお互いから学べるか。優秀な仲間ばかりとグループを組めるくらい価値を提供できる人であればいいけどね。
海外で仕事ができるような英語力は到底身に付かないと言った話はもはや定説か。
リーダーシップ教育については現在LBSに通っているTWKさんがうまいこと書いていた。
B-Schoolは、リーダー“教育”というよりリーダー“支援”
昔のフジフィルムのCMで「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに・・・」という名コピーがあったと思うが、MBAって結局そういうところだと思う。
MBAに価値がないなんて言っているつもりは全くない。そう思っているなら中古マンションくらい買えそうなコストを払ってまでOxfordには来ていないよ。
まず幻想を捨てる。MBAに自分が期待している成果を疑ってかかる。本当に実現できるのか、と。
自分が持っているコアのハード・ソフトスキルは何かをもう一度深く考える。それらをMBAでの期間中にレバレッジすることで得られることは何か。
MBAには数多くの機会、あるいはリソースがある。MBAの成果が期間中の行動次第で変わるとするならば、その岐路はどんな瞬間に訪れるのか。
自分が本当に得たい成果が見えたならば、それがどこのビジネススクールで手に入るのか、カリキュラムの特徴や学校側のメッセージなどをつぶさに見つめ、通奏低音として流れるその学校が実現せんとする価値を見分け、そして選ぶ。
これができれば行きたいビジネススクールの合格にぐっと近づくし、MBAへの投資はお釣りがついて帰ってくるよ。
MBAアプリカントに幸あれ。
岩瀬さんのBlogで紹介されていたけれど、話題になっていた「ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場」が岩瀬さんの翻訳で出版されたらしい。
でその著者で、岩瀬さんのHBSの同期でもあるPhilip Delves Broughton氏が日経ビジネスオンラインに今般掲載された記事がこちら。
金融危機の真犯人を育んだMBAの罪
これ、これからMBA受験をする、あるいはビジネススクールに行くことが決まっている人には読むことをお勧めする。別にここに書いてあることに全面的に賛成しているということではなく、改めて何でMBAを取得したいのかを考えるよい機会になるだろうから(本はまだ読んでいないのだがよい評判は聞く)。
ビジネススクールにとっての悲劇は、バブルが悲惨なまでに拡大している間、経済システム全体の再構築をすべきという批判の声を上げなかったことだ。グローバル経済に関する彼らの専門的で独立した思考が求められていたまさにその時、彼らは声を失っていたのである。
彼らはビジネス界の知的リーダーとして活躍するのではなく、従属者のように語り、行動した。経営学者はビジネスの理性や良心を体現することもなく、目の前に広がる不穏な出来事について批判する意志もなく、哲学的に思考する力にも驚くほど欠けていることを露呈した。
うーむ、言っていることは真実だと思うが、逆に言えばビジネススクールに過度に期待しているような気もする。
僕の理解ではビジネススクールは「既に産業・金融界で起きていることのうち興味深いことを分析し、数年遅れで授業に反映していく学者の集団」なのだ。特定の事業だけならまだしも世のビジネス総体の最先端で起きていること、あるいはその先を予測し、警報を鳴らすというのはいささか荷が重すぎるように思う。
MBAには最先端はないのだ。おもしろいと評判になる授業は各授業に関連する業界の「最先端」にいる人が教授と一緒に教壇に立つ授業だったりする。生徒の視点からすれば、他業界の最先端ってこんな感じかなって雰囲気は掴めても、それを修得するなんて全くできないし、同業界から来た生徒であれば完全に時代遅れの話にしか聞こえないこともある。
この違いは結構重要だと思っていて、例えば、「ファイナンスは苦手だがMBAで最先端のファイナンスを学んでファイナンス業界に転職したい」などという希望は全くもってMBAに期待できないこととなる(若いうちにMBAを取得し、専門性を問われない職務階級での転職を目指すなら話は別だが)。ファイナンスの経験がない人は、MBAをとったって純粋なファイナンス業界では簡単には通用しないよ(ファイナンスに限らずだけど)。
MBAは究極のゼネラリスト教育であり、幅広い知識を持つことで一般的なビジネスジャッジメントの質は上げられるように思うが、苦手だったことが得意になるなんてことはないと思っていた方が安全だ。
(つまらないことをしかも乱暴に言っているけれど、こういう幻想を持っているアプリカント(もっと言えばMBAに憧れている人)に時々遭遇するので、これくらい言っちゃってもいいだろう)
ただ、私が好きになれなかったのは、その特権意識である。ハーバードにいるだけで、どこか特別で多くの見返りを得られるという発想だ。私はMBAにいるだけで経営が上手になるという考えには全く賛同できない。
MBAにいれば何かが起こるかと言うと、何も起こらない。元々何かを起こせる人でない限り。
MBAで世界中の友人とのネットワークができる? 日本で友達づくり・ネットワーキングが苦手な人は、外人とのネットワーキングはもっと難しいと知っておくべき。
多国籍の友人とのグループワークで多種多様な人材のマネジメントが身に付く? 日本人すらマネージできない人は外人のマネージなんて絶対できない。せいぜい「価値感・行動様式が違う人がいる」という環境に慣れる、文句を言う度胸がつく、妥協する術を身につける、そんなところか。それはマネージとは呼ばない。
プロジェクトワークで実践的なコンサルティングスキルが身に付く? コンサルティングの素人数人が企業に乗り込んでどれだけお互いから学べるか。優秀な仲間ばかりとグループを組めるくらい価値を提供できる人であればいいけどね。
海外で仕事ができるような英語力は到底身に付かないと言った話はもはや定説か。
リーダーシップ教育については現在LBSに通っているTWKさんがうまいこと書いていた。
B-Schoolは、リーダー“教育”というよりリーダー“支援”
リーダーに成りたい人がビジネススクールに通い、リーダーが育成されるのではなく、もともとリーダーのポテンシャルがある学生を選抜し、いくらかの武器をあたえて、またジョブマーケットに放出しているのが、ビジネススクール、と感じています。
昔のフジフィルムのCMで「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに・・・」という名コピーがあったと思うが、MBAって結局そういうところだと思う。
MBAに価値がないなんて言っているつもりは全くない。そう思っているなら中古マンションくらい買えそうなコストを払ってまでOxfordには来ていないよ。
まず幻想を捨てる。MBAに自分が期待している成果を疑ってかかる。本当に実現できるのか、と。
自分が持っているコアのハード・ソフトスキルは何かをもう一度深く考える。それらをMBAでの期間中にレバレッジすることで得られることは何か。
MBAには数多くの機会、あるいはリソースがある。MBAの成果が期間中の行動次第で変わるとするならば、その岐路はどんな瞬間に訪れるのか。
自分が本当に得たい成果が見えたならば、それがどこのビジネススクールで手に入るのか、カリキュラムの特徴や学校側のメッセージなどをつぶさに見つめ、通奏低音として流れるその学校が実現せんとする価値を見分け、そして選ぶ。
これができれば行きたいビジネススクールの合格にぐっと近づくし、MBAへの投資はお釣りがついて帰ってくるよ。
MBAアプリカントに幸あれ。
この記事へのコメント
こんにちは、twkです。僕のブログからコメントを取り上げてもらって、ありがとうございます。
私も、ビジネススクールが世界を引っ張っている、もしくはそうすべきと考える世界観そのものが、違和感を感じてしまうんですよね。
ビジネススクール自身も「われわれがリーダーを創り出す、世界を変える」と懸命にポジショニングし、その一方で、実態はそうでもないという構造的なギャップがあるんですよね。
そのギャップが妙な形で噴出してきたのが、今回の件なのかなと思っています。
でもどうなんでしょうね。世界を変えるかどうかは別にしても、プロフェッショナルファームでそれなりの経験をしてきた僕らと違って、USで若くしてBスクールに行く学生にはインパクトがそれなりにあって、その後それなりに仕事人生が変わるのかもしれないなんて思うし(まああっても一部の学生だけだとは思うけど)。
まあアメリカは国として世界を変えるリーダーとしてのポジショニングをしていて、そのなかでトップクラスの優秀な人が集まる場所がMBAだと考えると、アメリカ的かなという気がしないでもない。欧州ではそこまで幻想がないような気がするんだけど、どうかな。。
日経Bオンラインの記事知りませんでした。
「金融危機の真犯人を育んだMBAの罪」ってすごいタイトルですなー
でも、INSEADのDeanと話したらやっぱり「金融危機を生んだMBA」って糾弾されてるらしいですよ。 アメリカなんて猫も杓子もMBAなんだから、どこの産業取り上げてもトップはMBAなんじゃん?って思うんですが。
幼女連続殺害事件の後起った「悪いのは暴力的なビデオ」説だったり、”Bowling for Colombine”のタイトルにもなった「コロンバイン高校で乱射した高校生が直前にボウリングをやっていた。なんでみんな悪いのはボウリングって言わないんだろう?」と変わらないレベルのスケープゴート探しと言えば言いすぎ?
に笑ってしまったのですが、私の感覚もそれに近いです。
>アメリカ的かなという気がしないでもない。欧州ではそこまで幻想がないような気がするんだけど、どうかな。。
アメリカのビジネススクールと一般化してしまうには危険すぎるかもしれませんが、少なくともハーバードと欧州のビジネススクールは根本的にカルチャーが全く違うような。
私、すごい興味津々で同窓会行ったんですが、みんなリラックスしてて超普通でした(↓)。
http://www.ladolcevita.jp/blog/global/2009/06/5.php
タイトルは岩瀬さんがつけたらしいよ。わざと目を引く挑発的タイトルにしたそうな。
日本だと政治・官僚・メディア・財界みたいなところが攻撃の対象になるのだろうけど、アメリカの場合はそういうポジションの会社のトップはMBAが占めているからまあそういうことになるのかなという気がしてます。若者への教育機関がそこまで力があるとは思ってないというのは冷めた見方すぎるかね。
(ま、このエントリー自体は夢見るアプリカントにくぎを刺すのが目的なので、冷めた見方を強調しすぎているかもだが)
野心があふれる人はトップ校に集まるから、ハーバード(の中の一部の学生)とそれ以外のMBA、とも言えるかもしれない。Oxfordに限って言えば、歴史が浅いからそこまで力のあるOBなんていないし、そもそも既存のMBAと差別化しようと最初から出発しているので、ずいぶん雰囲気違うかも。
とは言いながら、キャッチフレーズが'Educating leaders for 800 years'だったりするのだが(笑)
食いぶちはコンサルで立てているので、合わせ技でMBAみたいなもんです。
わざとボケてるのかわかりませんが。MBA卒業生自体の批判と言うよりは、
「MBAなるもの」への批判ですよ。
結局、「金を産まないなら意味がない」というMBAロジックで
非営利の分野をなくしていって、無用の用をなくし、
官から民へを進め、いわゆる「マネジメント改革」を進め、
大学や規制官庁、政治のトップまでもMBA(&ロー)上がりで占めた。
社会からビジネス以外でお金が回る分野をどんどん切り詰めてなくしてしまった。
金の匂いから遠いところにはリソースもメディアも集まらなくなったから、
ビジネス以外の社会の機能はやせ細る。
経済学部の学者たちは、金融危機を防ぐような煙たい研究もしなければ、
規制すべき官庁も規制しないで放置する。
文学者も社会学者も、できるだけお金に結び付く範囲で、
小さな問題をいじくりまわす。
古来哲学的に価値とされていたものは、真・善・美なんですが、
今、これを目指して安泰で食える仕事ってないですからね。
たとえば事業仕分けのレンホー。
MBA的発想を分かりやすい形で、体現したアイコンだと思いますよ。
学位が問題じゃないのです。
そういう反感を買っているのだと気づく程度のセンスが欲しい。