遅咲きの狂い咲き

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zoom RSS 防塵ゴーグルの向こう側

<<   作成日時 : 2011/05/08 10:42   >>

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岩手の被災地で過ごしたGW。報道やネットの情報だけでは分からない震災の現場。何がわかり、何が引き続きわからないのか。


【破壊し尽くされた街】

今回、岩手県遠野市のボランティアセンター(VC)に登録し、陸前高田市で2日間、大槌町で1日間、震災ボランティアという名の土木作業系肉体労働をやってきた。特に陸前高田は繰り返し津波の映像が報道されたことでもお馴染みで、最も被害が大きかった街のひとつ。一体どの程度の被害であったのか、現実感があるようで希薄な中、VC発のバスで僕らはその街に着いた。

言葉にならなかった。
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小さな街がなくなった、というレベルではない。かなりの内陸部分から、そこは完全なる廃墟だった。破壊し尽くされていた。見渡す限りの、廃墟と瓦礫の山々。この2ヶ月で瓦礫はかなり集められていたが、集めた瓦礫をどうするかという段階はまだ先で、2ヶ月たった今もまだまだ瓦礫が散乱している。

瓦礫、と言ってしまうと、何か大きなゴミくらいの響きだが、それは、根刮ぎ破壊された家や車、ビルの一部など、巨大なもの。とにかくそこにあったであろうあらゆる物が原型をとどめない形で散乱しているのだ。
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(宮城の被災地は見ていないながらも)この被災地の広さは想像を絶するものだった。写真や映像では一番ひどいところしか撮らないだろうからわかりにくいが、とにかく実際に行ってみると、言葉を失うほど広範囲なのだ。正直、絶望的な。。。


【ボランティアがやれること】

ここまで徹底的に破壊された街をみた時、重機を使っての土木作業しか求められていないのではないかと思った。一旦避難所が整備され、生きるために最低限の衣食住が用意されている段階で、GWに押し寄せる素人のボランティアに何ができるのか、と。

が、現状は全然違った。ボランティアは押し寄せてなんかはいない。まったく足りていない。VCがボランティアを捌く能力に限界が来てしまいボランティアを追い返すなんていう事例も一部見られたが、人が足りていないVCはまだまだ多く、そして何よりも、被災地の現場でやれることが山積みであったのだ。

では、ボランティアがやれることとは何なのか。ボランティアが活躍できる場は、破壊され尽くした街の真ん中でも、生活が安定し始めたエリアでもなく、その間にあるエリア。建物や水田などモノの破壊は限定的ながら、濁流に浸かってしまいたくさんの瓦礫が堆積し、使用に耐えなくなっているエリアだ。
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重機を使って壊すでもなく、かといって復旧のために大量の土木作業員が送り込まれるわけでもなく、放置されている。すぐ後ろには生活を初めている人々がいて、彼らが復旧を待っている数々の場所。そこにボランティアの活躍の場がある。そして、そんな場が、果てしなくある。

今回僕が参加したボランティアは、既に授業を再開した小学校の側溝の瓦礫/汚泥の除去、復旧を目指している保育園のグランドの汚泥の排除、瓦礫で覆われた水田からの瓦礫除去、瓦礫で道が半分塞がれた道路からの瓦礫除去、などだ。

どれも、ボランティアが数十人でとりかかれば、素人でも数日の作業でかなりの成果が出せる。ただし、その場所の持ち主から依頼がなければボランティアも作業はできない。今、現地では、やっとボランティアの活用方法への認知が広まってきたところと見受けられる。このようなレベルの被災場所は果てしなくあるので、ボランティアのニーズはまだまだなくならない。実際、ボランティアの帰り際の言葉で「また夏に会いましょう」とよく聞かれるくらいのレベルだ。。。
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【やってみないとわからない】

わかったこと、わからなかったことが、たくさんある。避難所の中に入った訳ではないし、被災された方々と話した訳でもないので、彼らがどんな暮らしをしているのか、どのようなニーズがあるのかは、よくわからない。でも、避難所の外の仮設トイレを借りたり、一見普通に診療している病院のトイレにて川から汲んできた水で流していたりするのを体験すると、実感として感じる事はたくさんある。

瓦礫を撤去していると、冷蔵庫、家の階段、屋根の一部などの大物から、結婚記念写真、ぬいぐるみ、預金通帳などのプライベートなものまで、ありとあらゆるものに遭遇する。そんなものを毎日間近に眺めながら生活している人たちの心境はどんなものか。そもそも、たくさんの親類、友人を亡くされていらっしゃる方々だ。とてもではないが、多くを失った方々の気持ちはわかるとは言えない。言えない、ということだけがわかった。
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僕が住んでいる東京も、程度は違えど被災地だ。東京には東京なりの当事者性がある。もっと東北の被災地の方の気持ちになってとか、東北の人のために何かをしなくちゃいけないとか、そんなことは言うつもりはない。ただ、岩手にいて感じたのは、原発や電力の話は、遠い所の話だということ。普通の生活をできている人とそうでない人とでは、見ている物がまるで違う。僕も、行きの高速道では福島を通過するときにガイガーカウンターを見ながらワーキャー言っていたものだが、帰るときにはそんなことはすっかり忘れていた。だから何と言うつもりはないが、その違いは知っておいていいような気がした。

一番わからないこと。それは、復旧に終わりが見えないという事。もちろん、引き続きたくさんの人員が投入されて、街はそれなりに整備されていくのだろう。ただ、津波がくると壊滅してしまうとわかった場所で、何を復旧させるのか。そこに住む人たちの気持ちのごく一端にも触れてしまった今、どうあるべきかを軽々しく論じる気分にはなれない。もう少ししてからまた考えたいが、少なくとも、現場を見ないで遠くから語る事の空虚さについて、知ってしまった。


【行ったらいいんじゃないかな】

ボランティアにみんな行くべき、なんて言わないけど、行こうかどうか迷ったとか、何ができるかわからないけれど気持ちだけはあるって人は、行ってきたらいいんじゃないかな。ちゃんと準備をし、ルールを守り、敬意を持って行動すれば、みんな力になれる。女性もたくさんいたし、中学生くらいの子連れの家族もそこそこ見かけた。ちゃんとやれる仕事はある。

迷惑をかけなければ、動機はなんだっていいと思う。別に、皆が皆、涙を流しながらやる必要なんてない。自己満足でいいと思うし、自己満足の形なんて人それぞれだ。腐ったサンマを除去しながら、「食べてあげられなくてごめんね」と胸に抱きしめていた大阪の女性がいたらしいが(サンマの無念のポイントはそこか!?(笑))、いいんじゃないかな、いろいろあって。あえて不純な動機をあげれば、僕なんかは肉体労働で筋力トレーニングの代わりになるかな、なんて思っていたし。(まあ、トレーニングにはなったと思うが、毎晩「経済貢献」を繰り返したせいで、ダイエットにはまったくならなかった。。。)

でも、結果を出せば、喜んでくれるよ。保育園の園長先生が、「なんとか再開したい」「子供が戻ってきたらみなさんに写真を送る」と言いながら、感謝の言葉を重ねてくれた。バスが見えなくなるまで、精一杯タオルで手を振ってくれていたのはなんだかんだで気持ちよいものだ。

全国から集まったボランティア同士の交流もね。色んなバックグラウンドをもった人たちが共同で作業するってのは気持ちいいし、大工や土木作業に秀でた人の見事な作業に身近で触れるのもいい経験。それが動機になるかどうかは別にしても、人の善意に触れるのは結果として気持ちよいもの。

繰り返すと、ちゃんと準備をし、ルールを守り、敬意を持って行動できるなら、必ず活躍できる場がある。まだまだ人は圧倒的に足りない。戦いは、長いのだ。
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(津波さえなければ、静かで美しい海。。。)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
このエントリーが書かれて読むことができたことに感謝します。
岩手の被災地の様子がよく分かりました。

きちんと準備をして行き、敬意をもって行動するなら被災地に行って、できることがあるし、行ってくる意味はあるというご指摘には、共感します。

私は5月4日から6日まで福島県に行ってきました。福島で話を伺った行政、観光業界、農家、ロータリークラブの人達などの言葉からは、自分達でコントロールできず、その影響がいつどのような形で出て来るのか、確たることが見通せない原発事故によって多くの人達が先の見えない苦境を強いられている事への悔しさ、今種を播いている農作物が収穫時期になったときにどのようになっているのかという不安、それでも下を向いていないで復興や事態の改善に向けて5年掛かり、10年掛かり、あるいはもっと時間がかかるかもしれないが、自分達にできる限りのことをしていくのだという静かな決意を感じました。福島も岩手とは随分その中身が違いますが、非日常、311の前にはなかった世界が日常として続いていました。
YTR3320
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2011/05/08 22:45

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